石剱稲荷大明神
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境ふるさとまつり

現在、町の催物のようになっているが、境ふるさとまつりは瑳珂比神社境内に祀られている天王宮の祇園祭を起源としている。

正保2年(1645)12月7日、境に2の日、7の日、月6回の六斎市(ろくさいいち)が開かれるようになると、市神・防疫神として国道354線沿い、市街地中央辺りに天王宮が祀られ、初めは藁葺きのお宮であったが、後年石宮に改築、文化11年(1814)6月吉日、氏子中が建立、文久3年(1863)6月吉日、町の商人たちが再建した旨が刻まれている。

天王宮の祭礼は、もともと旧暦6月15日を中心に行われていたが、明治以後、新暦への変更、社会事情の変遷などで8月1日・2日に「八坂神社祭典」として行うようになり、上町、仲町、諏訪町、元町、東町から山車や屋台が出され、昭和33年(1958)以降からは旧新田郡世良田村より合併した三ツ木、女塚、栄からも屋台が参加するようになった。また、八坂神輿はその年の天王町と呼ばれる本番町の御旅所に安置される。天王町は表三町と呼ばれる上町・仲町・諏訪町の年番制になっている。(現在、神輿自体は老朽化のため瑳珂比神社に安置されたまま、代わりに御幣が本番町の御旅所に安置される)尚、余談だが、六斎市が繁盛して次第に町並みが形作られると、慶安年間(1648~1651)に至り境町と改めた。そして毎年正月7日を六斎市の寄市と言い、石劔稲荷大明神の神官を先頭に神輿が町中を渡御し、この日伊勢崎藩主酒井候より祭礼米2俵を賜るを例として、これを初市廻りと称した。この初市廻りの行事は六斎市の廃された後も町の行事として昭和初年まで続けられた。

昭和56年(1981)からは「境ふるさとまつり」の名称で行うようになり、祭典日も8月の第一日曜日とその前日に変わったが、祭の本番役は従来通り表三町が年番制で務めている。


以下 境町の祭り 境町史資料集第6集(民俗編) より抜粋

夏の季節に行う祭りのうち、その代表的なものは祇園祭であろう。にぎやかな屋台ばやしは、毎年のことながら人々の心をときめかせ、一種の郷愁さえ誘う。

祇園祭はいうまでもなく、牛頭天王(須佐之男命)を祀る八坂神社の祭りである。明治以前は、八坂神社は天王社と多くは呼ばれていた。この信仰は、現在の京都府東山区祇園町の八坂の地に発生し、次第にその祭りとともに、全国に普及してきたものといわれる。八坂神社の数は群馬県内だけでも、782社あった。その分布は県内全域に及んでいる(群馬県神社明細帳)。これは、この神の普及度の旺盛さを物語る。それはこの神が疫病防除の専門神として、また市神(商売繁昌の神)として信仰されてきたことにも起因しよう。病気になりたくないのは、万人の持つ共通の願いである。この願いがこの神への信仰を一層普及させた。また、市神としての信仰は群馬県内に顕著に見られる。おそらくこれは群馬県の特色ではないかと思っている。

境町には次の地区に八坂神社があった。境、萩原、百々、伊与久、木島、下渕名、上渕名、東新井、保泉、上武士、下武士、島村の12地区の12社である。これらの八坂神社は、現在、その地区の鎮守神などに合祀されている。また、社殿もその境内に移されているものもある。もちろん、はじめから境内に建てられたものもあろう。注意したいのは、その地区の鎮守神になっている八坂神社が一社もないことである。だが、これは境町ばかりでなく、県内全体に見られる傾向であり、この神の特徴ともいえるのである。つまり、このことはすでにその町や村に、鎮守神が定まったあとに、新しく八坂神社が防疫神や市神として祀られたことも意味する。社殿が小さく、石宮程度の祠が多いのもこのためである。こうした神を民俗学では流行神と呼んでいる。ちなみに県内の八坂神社は現在、独立社40社に対して、境内末社・被併合社の数は多く、742社に及んでいる。この割合は他社と比べ、八坂神社独特のものである。したがって世良田の八坂神社のように独立社で、大規模な社殿を持ち、鎮守神(旧郷社)として祀られている例は、県内でも数少ない珍しい存在であるといえる。

さて、境町の祇園祭は、現在では大字境の八坂神社を中心にして盛大に行われている。かつては、前記した八坂神社を祀る他地区でも行っていた。現在でも下渕名や伊与久では7月25日に、子どもを中心とした神輿を出して祇園祭が行われていることは特筆される。しかし、総じて県内の祇園祭は、境町のように市街地(都市部)ではいよいよ盛んに行われているが、農村部では比較的衰微の傾向を見せている。また最近の都市部では祇園祭といわず、「○○祭り」と呼ぶ傾向にある。境町も近年に入ってから「境まつり」となり、現在では「境ふるさとまつり」と称している。しかし、祭りの名称が変わり、その時代を反映する新しい行事が加わっても、基本になっているのは元の祇園祭と考えてよい。

大字境の八坂神社(天王社)は、今は瑳珂比神社の境内にあって石宮である。元は字町並(現在の市街地の中央辺り)に、防疫神とともに市神として祀られたものという。祭祀年代は不詳であるが、最初は藁宮であったという。境町(宿)に市が初めて開かれたのは正保2年(1645)といわれているから(しの木弘明著『境風土記』)、そのころ市の繁栄を祈って、字町並の地に祀られたものであろう。その後石宮に建替えたものと思われる。前掲書には文化5年(1808)に、天王宮を石宮に造立したとある。ただ、瑳珂比神社境内にある石宮には、文化11年(1814)6月吉日に氏子中が建立。さらに、文久3年(1863)6月吉日に、町の商人たちが再建した意味のことが刻まれている。いずれにせよ、文化年中に石宮に改造され、祭祀には町の商人たちが中心になっていたことが分かる。そして時代とともに、次第に一般の人も拝むようになってきたのである。このように、商人から一般人へと信仰者が広がっていく例は、県内の他の八坂神社にも数多く見られる。これは時代とともに、商人以外の人も同地区に大勢居住するようになったことにも関係しよう。

市神としての牛頭天王は、当然、正月の初市の日にも拝まれtれいた。天保11年(1840)に記述された境町の「中沢家年中祭記」の1月7日の項にも「此日市神とシテ天王宮町廻り、さんせん十弍文」(仮名遣いは原文のまま)と見えている。さらに、この年の天王祭は6月22日を本日として行われたことが記されている。祇園祭は本来、旧暦6月15日を中心に行われる行事であった。

今年(昭和62年)の「境ふるさとまつり」は8月1日と同2日にかけて行われた。

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